エゴの死、なぜ悟れないのか?
今日はエゴの死について解説します。
エゴの死については
リサ・レニーさんや
エリザベス・エイプリルさん
などが語っており
有名な話題です。
下記にリンクを貼っておきます。
リサ・レニー
Ego Death
chromeなどのブラウザーで日本語に翻訳してお読みください。
エリザベス・エイプリルさん
YouTubeの歯車の設定ボタンから字幕を選択し英語自動生成を選ぶと
そのあともう一度翻訳ボタンを押すと自動翻訳が選択できるので
そこから日本語に自動翻訳を選ぶと日本語で字幕がでるようになるので
日本語字幕でご覧ください。
このエゴの死については
新約聖書のヨハネによる福音書3章3節で
イエス・キリストが語った最も重要な教えの一つです。
「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ、
神の国を見ることはできない」
これについてスピリチャルではよく
エゴの死、つまりエゴデスと
リサ・レニーさんやエリザベス・エイプリルさんが言っているものが出てきます。
エゴの死とは
執着や欲望を浄化して
内面のインナーシャドウを消していき
内なるエゴが一回死ぬことをいいまして
肉体が死ぬことではありません。
精神的に自分の執着や囚われや
願望を消すことが悟り
つまりは私達が目指している
この地球5次元化のアセンションの中で
必要になってきます。
つまり
一旦、全てのエゴや執着を捨てないと
神には会えない、つまり悟れないとされています。
通常、カルマがあっても全てのエゴを捨てていれば悟れると言われていますが
解脱して悟るとこの3次元ゲームから出てカルマが無くなりますが
ゲームに戻るとカルマも戻ります。
つまり、カルマは悟ったこの3次元ゲームから出た世界では無くなりますが
ゲーム中ではカルマは残っています。
聖者でもこの残ったカルマの清算が残りの人生では必要になります。
聖者になったから聖者のような生活が出来るのではなく
聖者のような生活をしているから
チャンネルが宇宙意識にシンクロして神に会える構造なので
我々は先にエゴや執着を終えないと、そして聖者のような生活ができないと
悟れませんよというのが、このイエスの教えの意味です。
完全に囚われを解いて、それだけで悟れるのか?
多くの聖者がエゴや欲を手放すことが
解脱には必要と言っていますが
これは私もまだ分かっていません。
しかし、サイババさんは行為によってでも
人の力によってでも富によってでもなく
手放すことによってのみ、不死は得られると言っています。
行為によって、祈りや儀式や誓いなどによってや慈善によっても
悟りは得られないと言っています。
手放すことによってのみ得られると言っています。
それはつかの間のものと永遠なるものを区別して
手放すわけですが、
家族を捨てて森に隠遁するのではなく
私と私のものという考えを手放すこと
という意味との事です。
多くの聖者は現代社会で生活しながら
私のものという想いを手放すことが
大切と説いています。
一切の執着と一切の欲望を手放すことで人は解脱するとのことです。
識別力つまりヴィヴェーカでつかの間のものと永遠なるものを区別し
自分の行いの報いを今世でも来世でも享受したいという手放すこと
無執着ヴァイラーギャが必要だと言われています。
また、パラマハンサ・ヨガナンダジは
玩具で遊んでいるうちは母親は現れないが
母自身を子供が求める時、母は来るといいます。
つまりこの3次元のゲームでも4次元のゲームでも
囚われて遊んでいるうちは神は現れないということです。
チャネリングや霊的な体験という
4次元のゲームという玩具で遊んでいても
神は現れないということです。
全ての玩具を手放して神だけを求めることが必要で
その為には、当然、輪廻転生の種となる全ての欲望を放棄する必要があります。
つまり執着を全て捨てて、欲望も全て捨てて、
エゴデスとなって生まれ変わらない限り
モクシャや悟りには至らないのではないかと言われています。
エゴを無くす学校がこの地球だとパラマハンサ・ヨガナンダジは言っています。
この地球はエゴを治療する病院だとパラマハンサ・ヨガナンダジは言っています。


